もういちどオーディオ

アクセスカウンタ

zoom RSS 音について〜私的ノートから1

<<   作成日時 : 2011/05/20 11:20   >>

トラックバック 0 / コメント 0

●私たちの音の原点

画像

 初夏のとある島の朝の風景です。周囲を赤く染めながら山の峰を越えて上ってきた太陽が、雲の層の向こうから海に金色の光の帯を投げ掛けています。そこに、朝の漁から帰った小舟が小刻みに体を揺らし、乾いた響きのエンジン音で規則的なリズムを刻みながら通り過ぎていきます。
 ここには、実際の音は船のエンジン音と、岸に寄せるわずかな波音しかありません。しかし、じっと耳をすますと、どこからともなく太古からの地球の息吹のような音が聞こえてくるような気がしてきます。不思議な懐かしさに満ちたその音は、母の胎内で聴いた血流音のようにも感じられてきます。これが私たちの、音の原点なのかもしれません。

●初めに音ありき〜音と音楽に関する私的ノート1

 以下のノートは2月21日に掲載したものを少し整理して書き直したものです。今回と次回の2回に分けて、最近の私の考えを整理しておきたいと思います。

 この半年ほど、私は音と人間との関わりについて考えています。直接の仕事としては、ある出版社の「音聴く人々(仮題)」という単行本の企画に参加しているのです。長く音楽・オーディオ界で仕事をしてきましたので、あらためて音について考えることなどなかったのですが、人生の終盤に近づきつつある今、仕事の現場から少し離れて、音について考えることは面白いと感じています。

 人間は考える葦であるとか、我考えるゆえに我あり、などという言葉は私たちの世代では、数学の定理のように当然のものとして、誰の心にも植え付けられていました。考えるからこそ人は人である、というわけです。パスカルとデカルトは、まだ物事がよく分からないころから、私たちの世代には輝かしい特別な存在でした。
 そして、初めに言葉ありき、もまた早くから頭に浸み込んでいました。これはいうまでもなく、新約聖書のヨハネによる福音書の冒頭にあります。

― 初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。この言は初めに神とともにあった。すべてのものは、これによってできた。 ―

「言」に「ことば」とルビを振っています。この表記もそうですが、どうも聖書の口語訳は、ありがたみ(!?)があまりないですね。私がこの言葉を知ったときには、まだ文語訳聖書が手許にありました。「初めに言葉ありき、言葉は神と共にありき…」のほうが神々しく響きますね。そして、この言葉はギリシャ語では「ロゴス」であることを知り、何でも物事は根源から考えなくてはならない、とイキがっていたころには、ピッタリとくる言葉に感じたものです。
 この部分のドイツ語は“Im Anfang war das Wort”、英語は“In the beginning was the Word”ですから、神と共に最初にこの地にあったものが、日本語の「言葉」と同じものであるとすることは、世界的に定着していることに間違いありません。
 しかし、旧約聖書の創世記は「はじめに神は天と地とを創造された」で始まり、すぐに、

― 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。―

 とあります。人が地上で生きるには、光があり、昼と夜が分けられ、そして大空と海と陸地が造られる。そのように神は天地を創造されたというのです。これは、人間の生存する場所を示すものでしょう。それに対して、ヨハネ福音書の「言葉」は、人が人として生きるための精神的な基本を示しているのではないかと思います。もっとも、これは無心論者の私の勝手な解釈で、おそらく誤謬に満ちているに違いありません。
 しかし、人は自分で生きていくほかはないので、私は勝手な我流思考を通すほかはありません。パスカル、デカルト、ヨハネの福音書を頼りに、ここまで考えてくると、人は考えるからこそ人であり、その考えるためには言葉が必要だ、ということになります。
 こんなふうに考えを整理してきて、私はある日突然、「初めに音ありき」ではないか、と思い当たりました。私たちは確かに言葉で考えるしかないのですが、その言葉がまだ与えられていない、生命の原初から人には「音」が与えられていたのではないか、と。

 たとえば、人は母の胎内で最初にあたえらる感覚は聴覚ではないでしょうか。触覚も視覚もまだ整っていない時期に、最初に与えられるのは聴覚です。人は母の胎内で、母から送られる血流の「音」を聴いているのです。そのリズムと強弱は、真っ先に発達する聴覚によって捉えられているに違いない、そう私は思うのです。
 母の血流の「音」は母の心臓の拍動にまっすぐつながっています。その音を聴くことによって、人は自分の命がつながっている母の健康状態、精神状態を感じているのです。胎内で安全に生きていくためには、聴覚が正常に働いて、その「音」を聴きとることが必要なのです。言葉を得る前の、原初的、根源的思考が「音」を聴くことによって行われている、まさに“初めに音ありき”ではありませんか。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

音について〜私的ノートから1 もういちどオーディオ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる