スピーカー設計者 K.前田氏の思い出~スピーカーの再現力とは(4)

●スピーカーの表現力の自然さと豊かさを求めて

「これは使いにくそうなスピーカーだが、いい音がするかもしれない」
 これが、ソニーの試聴室で初めてそのスピーカーを見て、まだ音を聴く前に感じた直感的印象でした。形は物の本質のある面を語りますからね。姿や形に惑わされてはいけない、大切なのは中身だ、という頑固な考え方の人もいますが、スピーカーの場合は、いい音が出そうな形というものがあります。

 長年、いろいろな種類のスピーカーを見て、その音を実際に聴くという体験を重ねてきて、そう思います。ダイナミック型のごく一般的なスピーカーなら、箱の大きさと材質、その形状を見ると、固い音がする、柔らかい響きがする、抜けが悪そうだ、重量感のある低音だ出そうだ、というように大まかな音の傾向が想像できるのです。
 そして、低音ユニット(ウーファー)のサイズとキャビネットのサイズの関係も、出来のいいスピーカーは、何となく必然的なバランスだ、と感じさせる雰囲気を漂わせているものです。高音ユニット(トゥイーター)なら、キャビネットとの位置関係と形状や大きさから、鋭い高音か、しなやかな高音かは想像できます。素材や磁気回路が何であるかを知らなくても、なんとなく音の姿はわかるものなのです。

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いろいろな形のスピーカー。キャビネットとユニットの関係から、出てくる音がなんとなく想像できるものです

 目の前のソニーのスピーカーは、まだ完成までにもう一歩という試作段階ではありますが、横並び2発のウーファーと大きくと堅固なキャビネットからは、しなやかな中低音と力強く重厚な低音が聴こえてきそうです。また、中高音ユニットが別ボックスになっているのは、取りつけ位置によって、かなり響きが変わるはずです。可動性なら使う人の腕の見せ所になるし、固定式ならメーカー段階でのチューニングが決め手になるなあ、そんなふうに感じました。しかし、サイズも大きく重量も相当あるので、家庭で使いこなすには少々骨がおれるだろう、売れるかなとなどと少々先走った心配をしたことも記憶しています。
 それにしても、まだ一般の人が聴いていないスピーカーを、発売前の試作機の段階で聴かせてもらうなんて、めったにないことですから、少し興奮しましたね。最初の音が出るまでの、ワクワク感は捨てがたいものです。

 前田さんは、まず、私の持参したディスクから、オルガンの曲(ピーター・ハーフォードのバロックアルバム)を鳴らしてくれました。うん、うん、なるほど予想通りの音だなあと感じました。やや柔軟性が足りないかとも感じましたが、力強く伸びのある低音です。固くはありません。低音域のしなやかさが十分でないのは、新しい大型スピーカーにはよくあり勝ちなことですから、あまり心配することはありません。素性というか、本来もっている裸の音がしっかり充実していれば問題ありません。
 高い音域は、周到に考えられたユニットなのでしょう、一言でいえば明快。クセがなく気持ちのいい音質です。ソフトドームのオーソドックスなトゥイーターで、ことさらに可聴帯域を越える超高音再生を狙うというようりも、豊かな中低音域にフワッと乗る、しなやかな再生力を求めているのだと感じました。
 さて、準備段階の試聴を切り上げて、私はある提案をしました。それは、メーカーが参考意見を聴く外部のオーディオ批評家や、専門雑誌の編集者は、そのほとんどが、解像度、周波数特性、ダイナミックレンジ、SN比などに結びつくような話になります。たとえばこんな具合です。
・レンジが狭いね。もう少し下が伸びてるほうがいいよ
・高域の10kHzぐらいのところにピークがあるね
・下はさ、もうオクターブ下がらないのかね
・S/Nが今ひとつだな、中音域がもっときれいじゃなきゃね
・高域の音がキラキラして品がないよ
・中低域がネクラな響きだな、もっと明るく生き生きとしてなくちゃ
・エネルギー感がたりないね、腹がすいたって音だよ
・音が前にこないよ、もっとアグレッシブに聴き手に音が迫ってこなくちゃ

 前田さんはもうさんざんこういう言葉を聞いているはずなので、それに似たようなことは繰り返さず、時間の制約もあるので、1つの作品を集中的に聴いて、その音楽の再現性についてだけ話し合うことにしたのです。
 私が選んだのは前回ジャケット写真をご覧いただいた、1987年録音のレナード・バーンスタイン指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏による、グスタフ・マーラーの「交響曲第4番」でした。このCDは何度もいろいろなスピーカーで聴いているので、私がこれから聴くソニーのスピーカーの音を聴けば、それらとの比較も含めて、かなり多くのことを前田さんに伝えられると思ったのです。
 音質のことは、もう社内でも十分に意見を出し合っているはずなので、私が聴きたかったのは、スピーカーの表現力でした。そこで、2人で演奏会を聴きに行ったようなつもりで音を聴き、音楽と演奏がどう表現されるかについて話し合うことにしました。たとえば、個々の音の質感はひとまずおき、いくつかの楽器が重なって、小さい音からしだいに大きな音になっていくとき(クレシェンド)や、その逆(デクレシェンド)の時のしなやかさ具合を問題にするのです。
 とりあえず、何も意見をいわずに2人でマーラーの4番を通して聴きました。前田さんは普段はあまりマーラーを聴かないようでした。第4楽章の歌は普通はソプラノなのですが、このバーンスタイン盤は、ボーイソプラノです。珍しいんですよ、バーンスタインは美しい男が好きでしたからね、というと真面目一方という感じの前田さんは、本当ですか、なぜですか、と真顔で聞き返されたのを昨日のように覚えています。

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前田さんと一緒に聴いたマーラーの交響曲第4番のスコアと、バーンスタイン盤のCD。写真下のスコアは第3楽章の最後の部分です。2ページ目の最後の1小節の2つの音の後に、休符に表わせない一瞬の間があって、3ページ目の強烈なコーダに入ります。

 この曲で特に集中して何度も聴くことにしたのは、第3楽章から第4楽章にかけてです。まず、この世のものとは思えないほどの美しい旋律がうたわれる第3楽章、その弦楽器がどのように平安さを歌うか、そして木管楽器の重なりとホルンの響きの溶け込み具合はどうか。実際の時間の経過よりも音楽がゆったりと流れているように聴かせてくれたら素晴らしい。そして、持続する穏やかさに満ちたこの世界からどこにも行きたくない、そう感じさせてくれるぐらい、美しい鳴りかたをしてほしい。そう思い、意見いいながら何度も聴きました。
 もっとも重要視したポイントは、その平穏な美しい世界から、突然、衝撃的なすさまじいばかりの大音響のコーダに入る部分の鳴り方です。フルートとクラリネットが消え入るように和音を響かせ、わずかにチェロとコントラバスの下降音が聞こえます。
 そして、314小節目の2拍目の付点4分音符と16分音符の、鋭いフルートとヴァイオリンの上昇2音があって聴き手が身構えるほどの緊張感を高め、休符では表わせない一瞬の間があって、強烈な管楽器の咆哮が弦楽器の細かく激しいうねるような音の波の上を疾走します。ティンパニとトライアングルが連打され、ハープがかき鳴らされます。
 やがて音楽は静けさを取り戻し、美しい旋律を回想し、第4楽章の主題を予告するような響きで、消え入るように静まります。聴き手が静かに息を吸い込むと、第4楽章のあの懐かしく子ども時代を思い出させるような音楽が始まります。
 テーマは、この間の50小節、ほんの3分間ほどのドラマティックな音楽の展開をどのように再現するかです。天国的な美しい世界を、圧倒的なエネルギーの全奏(トゥッティ)で追い出され、短いけれど激しい精神の葛藤を経て、平穏な世界を取り戻し、やがて眠りの魔法を掛けられていた美少女がゆっくりと目を開けるような、無垢で牧歌的な第4楽章の冒頭にゆっくりと着地する。
 平安、激情、清冽と音楽はその表情をダイナミックに変化させていきます。この音楽を目の前のスピーカーの存在を忘れさせてくれるように、鳴ってほしい。そういう願いを込めて、前田さんと私は何度も何度もこの部分を聴きました。
 2日目は楽譜を見ながら、さらに仔細に聴き込みました。聴いて問題があると、前田さんがその場で可能なチューニングや修正をして、また聴きます。こうして3日ほど、2人で同じ音楽を集中して、私は聴く立場から意見を出し、それが適切だと思えば前田さんが微修正やチューニングをするという稀有の体験をしました。
 しかし、残念ながら、このスピーカーは、いくつかの原因があって、ついに日の目を見ることなくお蔵入りとなってしまいました。完成すれば、ソニーとしては画期的な大型スピーカーとなるはずでしたが。

●前田さん、旅立つ

 そして、約1年後、出張から帰ったある日、前田さんが亡くなった、という知らせを受けました。信じられませんでした。何ということでしょう。つい数ヵ月前までは元気にしていたのに。
 まだまだやりたい事がたくさんあったはずの、才能ある1人の壮年のエンジニアが、病魔に倒れ命を落としたのです。なぜなのでしょう。どうして前田さんの運命は、このような過酷な目に遭わなければならなかったのでしょう。
 お通夜に伺うと、今にも話しかけてくるような笑顔の前田さんの写真が飾られていました。その遺影の前に置かれた細長いテーブルには、前田さんが生前愛した模型や本、筆記具などの遺品が置かれていました。その中に、私は、マーラーの4番のスコアと、バーンスタイン盤のCDがあるのを見て、言葉を失いました。前田さんは私と一緒にあの幻のスピーカーを聴くまでは、マーラーの交響曲にも、その楽譜にもあまり関心がなかったのです。
 しかし、深夜まで何度も2人で聴いたCDと、見入った楽譜がそこにあるということは、どれほど彼があのスピーカーを仕上げたかったのかを強く物語っていました。そして、そのことは、前田さんと私しか知らないのです。試聴は2人きりでしましたから…。
 前田さん、どうぞ、安らかにお眠りください、そう声を掛けるしかない自分の無力を悲しく思いました。前田さん、いつかまた一緒に音楽を聴きましょう。心からご冥福をお祈りします。