はじめに音ありき。

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 私は、今、新しいオーディオの原稿の取り組んでいます。完成は少し先になるのですが、その原稿のために考えていることを、そのまま同時進行で読んでいただくことにしようと思っています。
 今、頭のなかで育ちつつあるのは「はじめに音ありき」という言葉です。新約聖書のヨハネによる福音書に、有名な「はじめにロゴスありき」という言葉があります。この“ロゴス”は、日本語では“言葉”とか“論理”とか訳されています。
 手許の新約聖書では、

― 初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この言葉は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、1つとしてこれによらないものはなかった。―
 畏れ多いのですが、かなりしつこい言い回しですね。しかし、この「言葉」を「音」に置き換えればほぼ私のイメージに合致します。

 すべての音楽は音によってできていますが、その音は宇宙の誕生と共に最初からあった。ビッグバンというと、視覚的イメージが優先しますが、じつはそこには「音」があったのではないか、そう私は想像してみるのです。
 人間も母の胎内では視覚より聴覚が先に出来ます。目は見えないけれど、母の心臓の拍動は音として認識しているし、外部の音も知覚しているといわれています。妊娠中にいい音楽を聴かせる“胎教”なんていうのがあるのも、それを示しています。

 自然界の原始からある音、その音が音楽の音となる。しかし、音は生まれたその場から消えていく。それを何とか記録して、同じような質感で再現できないものか、と人は考えるようになる。それが、録音と再生、つまりオーディオの始まりです。そんな段階からオーディオを考え直し、その進歩発展を辿ってみようというわけです。

 さて、ご案内が遅れていましたが、その記事はビッグローブの「ウェブリブログ」に掲載されることになります。その最終的な連絡が私に届いていなかったので、ご案内が遅れていました。担当者からの連絡によりますと、このページは3月中旬の移行までは、今の< http://station50.biglobe.ne.jp/ >で表示され、更新もできるそうです。
 というわけで、その新しいページの正式なご案内は、近々このページでいたしますので、恐縮ですが時々覗いてください。