このオーディオページは2月22日まで続きます

●不滅のオーディオのために(続)

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 今入手できるスピーカーから、私の好きな製品を、大小1点ずつあげてみました。イタリアのソナス・ファーベールの2モデル、「クレモナM(上)」と「ミニマビンテージ(下)」。木の良さを活かした入念な造りは感動的です。そして、もちろん、そのしなやかな音質とまろやかな音色も絶品。それぞれの製品についての私のコメントは、「クレモナM」は
http://station50.biglobe.ne.jp/hobby/audio/refino/sys_092.html> 、「ミニマビンテージ」は<http://station50.biglobe.ne.jp/hobby/audio/refino/sys_104.html>を、製品についての詳細は、ノアのホームページ<http://www.noahcorporation.com/>をご覧ください。


●バッハ・コレギウム・ジャパン、鈴木雅明さんの話~不自由だからこそ得られる自由がある

 今日は世界でもトップクラスの実力をもつ古楽器合奏団、合唱団「バッハ・コレギウム・ジャパン(以下BCJ)」の音楽監督にしてオルガン、チェンバロ奏者の鈴木雅明さんに伺った話をお伝えしながらオーディオの楽しみについてお話します。
 楽器は時代とともに進歩していますから、古楽器は扱いにくい点がありますし、現代の大きな演奏会場では、その音量や音色が効果的でない場合もあります。
 では、なぜそのような古い楽器で演奏するのかといえば、バッハ(1685 - 1750)ならバッハの時代の楽器で演奏すれば、バッハがその作品で何を表現したかったのかがよく分かり、また、その時代の聴衆が聴いた音に限りなく近い音で聴くことは、時代を超え私たちにもとても興味深い。そして、その作品の理解を深めることにもつながる。まあいわば、そのような学究的な意図が主な理由で、古楽器による演奏が始まったのです。
 しかし、1980年代後半から古楽器の演奏団体も数が増え、技術も向上し、単に学究的な興味からではなく、現代楽器と同じ感覚で、つまり芸術表現として演奏する団体も増えて、当然ながら純粋に音楽を楽しむために古楽器の演奏を聴く人も増えてきたのです。

 そんな中で、世界的にも評価の高い鈴木雅明さんは、古楽器の演奏の特徴の1つとして、次のようなことを話されました。要約しますと、

― 古楽器は現代楽器に比べて演奏しにくいところがある。しかし、その難しさを克服していくことによって、すぐに求める音が出る機能的に優れた現代楽器よりも、表現の面白さや味を出すことにもなる。それは、表現の自由を得ることにもつながる。―

 ちょっと面倒なのですが、たとえば和歌は31文字、俳句は17文字しかありませんね。それで、桑原 武夫(くわばら たけお、1904 - 1988、フランス文学)さんの「俳句第2芸術論」なども出てきたわけですが、表現芸術としては、文字数が極端に少ないという制約があるからこそ、大きな世界を描くことができる、という側面もありますね。
 それと似ていて、正しい音程を維持するのが難しいということを克服して出す音は、ポンと簡単に出る音とはまた違った味があり、そういうことの積み重ねが表現の豊かさにつながる。いわば不自由だからこそ得られる自由がある、そういうことなのです。
 ピアノで言えば、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンと時代が進んでくるのに合わせて、音域が拡大し、当然、音量も音色も豊かになってきました。そこでたとえば、現代楽器より1オクターブ~2オクターブ狭い音域しかないピアノの場合、その時代の作曲家は、当然そのピアノの最高音や最低音を使いたがりますが、残念ながらその音はあまり美しくない。そして現代楽器では、その音はもはやピアノの最高音ではありませんから、同じ音でもまったく違った音質になります。
 かつての最高音だった美しくない音を、美しい音にするために苦心して出した音には、現代楽器のような豊かな響きの音とは別な、味というか表現力がある、そういうことなのですね。
 ちょっと哲学的な要素もある難しい楽器演奏論になってしまいましたが、鈴木さんの考え方は、作曲家や研究者とは違う、演奏家ならではの貴重なものだと思います。

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(カーネギーホールでのバッハ・コレギウム・ジャパン 2003年4月8日 写真:K.Miura)

●苦労を重ねて、いい音にたどりつくオーディオの喜びは“格別”なもの

 オーディオも似たようなことがあります。今はどこでも、いつでも好きな音楽を聴ける時代です。しかも、アナログレコード時代のように、大きくて重いディスクから、CDのようなコンパクトで軽いものがあり、さらに携帯デジタル機器なら何千曲ものライブラリーを、小さな機器に納めることができるのです。
 しかし、便利で操作性のいいことが求められ、機器の性能が目覚ましく向上する一方で、スピーカーから音を出してゆったりと音楽を聴くという、多くの人が愛してきた趣味が、特に若い世代から消えつつあります。そして、何よりも重要なのは、あれほどかつては追い求めてきた、“いい音”という、オーディオの大切な要素が重要視されなくなってきているのです。今はクオリティを失った時代ではないか、と私は気になります。
 私はそのような最近のオーディオ事情を『可哀そうなオーディオ』という一書に著わそうかとも考えているぐらいです(!) しかし、それは何もヘッドフォンで聴くことや、パソコンの小さな内蔵スピーカーで聴くオーディオを否定するものではありません。
 音楽を聴くという、人間になくてはならない行為は、どんな形であってもいいと思います。ただし、人間が自然界の音を自分の耳でとらえ、脳で音として判断するように、時には耳からヘッドフォンをはずして、スピーカーから音を出して聴くオーディオも楽しんでもらいたいと思うのです。
 そういう従来型オーディオ(!?)では、機器やディスクを用意するという面倒な作業も必要になりますが、その不便さを克服して、自分の狙った音を出せるようになった時の喜びは計り知れません。古楽器からいい音を出すために練習を重ねる、その苦労を通して、味わい深い表現を得るように、あれこれ苦労を重ねて、いい音にたどりつくオーディオは、格別なものなのです。