ATCのスピーカー~モニタースピーカーの冷厳さと音楽的再現力の調和が魅力

 しばらく録音の話が続きました。そこで今回は、前回までにご紹介したパイオニアオ作品の録音で使われていたモニタースピーカーが、イギリスのATC社製でしたから、今日はそのATCのスピーカーについてということにします。
 ところで、パイオニアといえば、その本社は東京目黒区のJR目黒駅のすぐ近くにあったのですが、昨年からスタートした新体制の中で本社は川崎に移転しました。オーディオ、映像、カーナビなどの分野で数々の画期的な技術と製品を生み出した本拠地の建物は売却されることになりました。そのため私が参加したDVD、BD(ブルーレイディスク)作品の、録音やテスト、編集、マスタリングなどの大半が行なわれた本社ビル1階の第1スタジオも、ビルごと消滅することになってしまったのです。
 第1スタジオのモニタールームには、当然ながら「TAD」の大型スピーカー壁に取り付けられていました。大きな木製ホーンとダブルウーファーは“音”に掛けるパイオニアの意気込みの象徴でもありました。これは2チャンネル用のモニターとして使われていて、DVD、BDは基本的に5チャンネルの収録が中心になりますので、5チャンネル用のモニターとしては、同一のATCモニターを5台セットしたのです。
 このATCのセットは前回(4月21日掲載)写真でご覧いただいたように、ホールで録音する場合には、そのままホールに持ち込み、楽屋やエントランスホールに特設したモニタールームに設置し、目黒のスタジオと同じ条件で試聴できる環境を作りました。
 目黒の旧本社ビルは間もなく解体されるか改装されてしまいます。また、数々の音楽作品を生み出してきた東京赤坂のコロムビア本社ビルも、すでに姿を消しています。今また、パイオニア本社ビルが消え去るのは、何か非常に大きな喪失感に襲われます。日本の音楽、オーディオはこれからどうなっていくのか、私は大いに心配しています。

 話が横道に入り込み長くなりそうなので、話題を強制的にATCのスピーカーに戻します。録音用のモニタースピーカーとしては、アメリカのアルテックやJBL、イギリスのB&Wなどが早くから知られていますが、その後、設置型の大型から可搬型の小型まで種類や用途に合わせて数多くの製品が登場しています。
 ATCはその中では比較的新しいメーカーで、設立は1974年。ビリー・ウッドマン(Billy Woodman)によって、日本でも人気の高い美しい丘陵田園地帯「コッツウォルズ (Cotswolds)」のある、イギリス南西部のグロスタシャー州(Gloucestershire)に本社があります。ATCは「Acoustic Transducer Company」の頭文字で、正式社名は「ATC Loudspeaker Technology Ltd」。
 ATCのウッドマンとそのチームは、音楽産業の業務用製品のための特注ドライブユニットを作りことからスタートしました。その性能の良さがしだいに認められ、1976年に発表した「SM75-15」というソフトドーム振動板のミッドレンジユニットで、その広帯域にわたって歪みのない再生力が圧倒的な評価を得て、スピーカーメーカーとしてのゆるぎない地歩を築きました。このユニットは業務用だけではなく家庭用のスピーカーにも採用されました。また、ATCはPAシステムにも進出し、ピンク・フロイド(Pink Floyd) やスーパートランプ(Supertramp)などのロックバンドは、ATC初期からの顧客だそうです。

 業務用のスピーカーは、音楽の再生力が優れていることはもちろん大切な要素ですが、なによりも正確な検聴に応える解像力をもち、過酷な使用条件に耐える堅牢さが求められます。パイオニアで使用したセットも、キャビネットは分厚いMDF材で重量は特性スタンドを合わせると1台100キログラムにもなります。
 このようにいいますと、無個性で冷たい検査機器のような印象を受けます。現にそういう製品もないではありません。しかし、ATCのモニタースピーカーは、製作者の恣意的な思い入れからくるキャラクターがなく、非常に透明度の高い再現力をもっているのですが、実際に聴いていると、蒸留水のような“無味無臭”とはちょっと違った印象を受けます。
 モニタースピーカーに必要な条件は十分に備えているのですが、それだけでは終わらない、誤解を恐れずあえていえば、
「与えられた仕事はしっかりこなしますが、録音の問題点がクリアできたらもう一度ゆっくり、その録音を音楽として聴いてください、それもまた私たちの音です」
 とでも語りかけてくるような音なのです。

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 そういうATCモニタースピーカーの音が相似形で生かされた家庭用のスピーカーを聴いてみたいな、と思って聴いたのが、写真の「SCM40」でした。本欄の前身であるボンビバンの記事のために取材し、その印象リポートは2007年5月16日に掲載しました。詳しくは日付の色文字をクリックして該当ページをご欄ください。「SCM40」は3ウェイのフロア型トールボーイです。価格はペア税込で63万円ですから、その性能から考えると納得できる価格(高くない、といいたいのです!)ではないかと思います。さらにこのシリーズには2ウェイ機が「SCM7」「SCM11」「SCM19」の3モデルあり、価格はそれぞれペア税込で157,000円、210,000円、315,000円です。それぞれの製品についての詳細は輸入元のエレクトリの「ATC製品ページ」をご覧ください。

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 写真は上が「SCM19」、下が「SCM7」です。
 さて、スピーカーの最重要部品といえば、ドライブユニットです。これは振動板と磁気回路とその支持機構から構成されているもので、日本では単にユニットなどと呼ばれますし、イギリスなどの英語圏ではドライブユニットをスピーカーと呼び、私たちが日本でスピーカーと呼ぶものはスピーカーシステムとかラウドスピーカー(loudspeaker)といいます。
 ATCがまずオーディオ界で評価を得たのが、ミッドレンジのドライブユニットであったというのは、ATCの再現力の大きな特徴の1つを物語っているかもしれません。ドライブユニットの優秀さを競う場合、最近では再生周波数帯域の拡大にともない、高音域を担当するトゥイーターが多く、ついで低音域担当のウーファーとなるのですが、ATCは中音域担当のミッドレンジ(スコーカーともいいます)が、最初に評価されたのです。しかも、振動板素材がこれまで使われたことのなかったハイテク製品というわけでもなく、形はオーソドックスなドーム型で、磁気回路も一般的なものです。にもかかわらず高い評価を受けたというところに、ATCのATCらしさがあると思うのです。
 音楽の再生力では、もちろん高域、低域が十分に伸びていることは大切ですが、通常はおよそ300Hz~3kHzまでの帯域の再現力がもっとも重要だと私は思います。この帯域が音楽の核心を担っているからです。この帯域が充実していなくては、いくら上下に帯域が伸びていても音楽の本当の表情をとらえることはできません。

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 これは「SCM40」のミッドレンジユニットです。口径は75ミリで特殊コートポリエステル織のソフトドームと発表されています。ドーム状の振動板が光沢を帯びた含浸材でコーティングされていて、触れると少し粘り気があるような感じです。創業以来の自信作であるミッドレンジユニットの血筋を正しく汲むユニットが、民生機でも主役として十分な働きをしているのです。それが、滑らかで充実した上質な肌触りの響きと、無駄はそぎ落とされているけれども痩せてはいない、柔軟さをもった安定感のある音質を実現しているのです。
 形容詞が折り重なった熟さない表現で恐縮ですが、ATCの良さを端的に表現することはなかなか難しいのです。淡白なようで濃厚、克明でありながら滑らかな表情…、
「検聴器の冷厳さと音楽的再現力の調和」
 とでもいうほかはない優れた作品だと思います。そして、数10kHzとか100kHzの超広帯域再現、などと謳わないところが、新進メーカーでありながらイギリスの伝統を感じさせるところでもありますね。お勧めのスピーカーです。