マルチチャンネルとステレオ(2)

●録音とオーディオは表裏一体
 前回最後に録音の苦労をお話することは“オーディオファンにも有益”といいましたが、それはこういうことです。録音は、演奏を“より良い音”で収録することが目的であり、オーディオ(再生)はディスクに記録された信号を“より良い音”で再現することが目的です。
 こう書くとはっきりしますが、要するに録音とオーディオは向きが違うだけで、目指す目的や行為は非常に似ているのですね。マイクロフォンは演奏された音を振動板で受けて、それを電気信号に変換します。スピーカーはアンプから受け取った電気信号を振動板の振動に変換し、その振動で空気を振動させ人間の耳に音と知覚させてくれます。
 マイクロフォンは音の入口で、スピーカーは音の出口といわれますが、その両端の機器は作用の向きが反対ですが、じつは動作原理は同じなのです。つまり、録音とオーディオは表裏一体のものなのです。そのため英語では、録音物を制作することを“produce”といい、オーディオで再生することを“reproduce”という言葉で表現します。というようなわけで、“いい音”で再生するには録音のことを知っておいたほうが有利なのですね。

 しかし、エジソンが銅の円筒に錫箔を巻いた「フォノグラフ(phonograph)」という録音再生可能な蓄音機を発明したのは、1877(明治10)年のことでした。録音とオーディオの本格的出発点をその時点とすれば、それからすでに130年あまり。録音もオーディオも大きく進歩発展し、この間に膨大なノウハウが蓄積されてきました。その成果の上に今日のデジタルオーディオが開花しているわけです。したがって、ブログ形式で掲載している本欄では、録音を体系的にお話することはとても難しいので、やむなく断片的になってしまいますが、必要を感じたときに、その折々のテーマや問題点に合わせてお話することにします。

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上の写真は、ステージの音を直接音を収録するメインマイクです。この録音はワンポイント録音なので、左右と中央の3本で構成されています。下は客席に立てられた後方2チャンネル用のマイクです。これで、会場内の間接音を収録します。

●前方3チャンネルと2チャンネルはどう違う?
 今回のテーマは見出しにありますように、「マルチチャンネルとステレオ」です。簡単に復習しておきましょう。
 DVDやブルーレイディスク(以後BD)の音声は、5.1チャンネルとステレオ2チャンネルの両方を収録することができます。5.1チャンネルをステレオに対してマルチチャンネルといいます。
 5.1チャンネルの「0.1」は低音チャンネルのことを意味します。再生装置が十分な低音再生能力をもっている場合は不用なチャンネルです。録音の場合も、特別に低音用にマイクを立てることは、原則としてありません。したがってマルチチャンネルは、基本的には前方3チャンネルと後方2チャンネルの「5チャンネル」で録音されます。
 後方の2チャンネルはサラウンドチャンネルとも呼ばれています。ホールで音楽を聴く場合、人はステージからの音(直接音)だけではなく、客席の左右や後方の壁で反射して耳に届く反射音(間接音)も合わせて聴いているので、録音でも客席の最適な位置にマイクを立てて間接音を記録し、臨場感のある音を収録しようという目的の2チャンネルです。再生する場合は、聴取位置の後方に2本別なスピーカーを用意します。1980年代初期のサラウンドは後方1チャンネルでした。
 さて、問題は前方の3チャンネルです。3というのは、左右(L/R)だけではなくセンター(C)があるからですね。録音ではセンター用に独立したマイクを用意し、再生では左右のスピーカーの中間に1本、センター用のスピーカーをセットします。なぜセンターチャンネルが必要なのか、あるいはセンターチャンネルがあることによって、何がステレオより有利になるのでしょう? これが問題なのです。

 私の録音チームは、ステレオ時代からの長いキャリアをもつメンバーです。エンジニアは元大手レコードメーカーに所属し、クラシック音楽を中心に数多くの作品を残してきた方です。ああ、そうでした、ディスクをプレゼントしていますから(前回4月8日掲載を参照してください)、そのブックレットを見れば名前がクレジットされていますね。匿名にする必要はありませんでした。林正夫さんです。林さんはクラシック音楽が専門ですが、コロムビア所属でしたから、社員として邦楽も録音されています。美空ひばりさんの作品の大半は彼の担当です。ディレクターは、田中成和さん。彼はイギリスのサセックス大学で発達心理学を学んだという珍しいキャリアをもち、コロムビアにも所属していましたが、フリーとしても活躍されてきました。『200CD クラシックの名録音(1998年、立風書房刊)』という本を一緒に書いた仲間でもあります。
 3チャンネルのセンターチャンネルがなぜ問題かといえば、私たち音楽の録音担当者は、ステレオ誕生以来ずっと左右2チャンネルで、立体的な音響空間を表現するために努力を重ねてきました。そこに突然、左右の中央に1チャンネルが追加されたら、これをどう扱ったらいいものか、これは大いに悩ましい事件なのであります。
 出来の悪い録音の1つに“中抜け”と呼ばれる録音があります。再生すると、中央の空間が何となく薄く感じられる、左右が厚く中央が薄い音圧バランスの録音のことですね。こういうことを避けるために、録音ではセンターにもう1つチャンネルを設け、再生では専用のスピーカーを追加すればいい、と考えた人もなくはありません。有名な歴史的事実としては、第2次世界大戦中の1940年前後、ドイツでは3チャンネルステレオの録音が実験的に行なわれていたのです。その何作品かが発見されて、先年話題になりましたが、今は正確に記憶していませんので、古いノートを調べて判明したらご紹介します。しかし、そのドイツの実験も、あるいはその他の個人や団体の研究、実験にもかかわらず、音楽の録音では3チャンネルステレオは、ついに普及しませんでした。現在でもSACDのごく一部を除けば、CDやSACDの音楽作品は2チャンネルステレオとなっています。
 では、なぜDVDやBDには前方3チャンネルの5.1チャンネル音声が正式に採用されているのでしょう。長くなりましたので、この続きはまたすぐに。