オーディオは奥が深い~“純粋オーディオ音”志向(1)

●『草食系男子の恋愛学』の著者、森岡正博さんと、オーディオ

“純粋オーディオ音”って何かといえば、音楽じゃない音をオーディオで再生した音のことです。車や飛行機の音、ガラスが割れる音、水が流れる音、何でもいいのですが、虫や鳥の声のように情緒的な雰囲気があったり、美しいと感じる音じゃないほうが、いいですね。大きな金槌で石を思い切り叩いた音だとか、バイクや自転車のブレーキの音のように、なるべく無機的で即物的で、無意味なものがいいのです。
 何でこんなことを突然言い出したかというと、キッカケは森岡正博(もりおか まさひろ)さんという哲学者のコラムです。音楽好きの学者や作家はたくさんいるのですが、そういう人たちは、音楽のについては作品の考察から、作曲家や演奏家の日常茶飯事にいたるまで、さまざまに工夫を凝らして書くのですが、その音楽を聴いた道具、つまりオーディオ機器について触れることは極めて稀です。
 まるで、オーディオ機器のことを話すのは、品が悪いとでも思っているのだろうか、と思うぐらい書かないのです。それが私には長年のナゾで、いつか解明して一書を著したいと思っているぐらいです!

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 哲学というと堅苦しい学問を創造します。森岡正博さんについも型通りに書けば、1958年高知市生まれ。専門は生と死を総合的に探求する生命倫理学で、代表的な著作は『無痛文明論』。ということになるのでしょうが、一般的には、男のセクシュアリティを論じた2005年の『感じない男』、そして、2008年の『草食系男子の恋愛学』で広く知られています。この書名を聞くと、ぐっと身近な存在に感じられますね!
 その森岡さんは子どものころから音とオーディオが大好きでした。こんな具合です。

― 中学生の頃に、高知市の大きな電気屋の中を歩いていた。するとオーディオコーナーで、若い男性店員がオープンリールのテープをセットして、大きなスピーカーから耳をつんざくような拍手の音を再生させたのである。そのあまりの音の良さに私は立ちすくんでしまった。―
 この拍手の音が、今回のテーマの“純粋オーディオ音”の1つです。森岡さんはこういう音に魅かれる子どもだったのです。その拍手の音の良さに森岡さんは感動したのですが、それ以上に森岡さんを驚かせたのは、その拍手の音を、両腕を組んで眉間にしわを寄せながらじっと聴き込んでいた男の姿でした。森岡さんは、こういう音を真剣に聴く人がいるのを知って、

― そのとき、私の中で何かの殻が弾けた。私は音フェティシズムの世界を知ってしまったのである。―
 と、いいます。ついには石油ストーブの金属製のネットを棒で叩いて、その無機的な物体の響きに夢中になるほどになります。それが高じて、オーディオ装置の再生音にのめり込んでいくことになるのです。そして、こんなことも言っておられます。

― たとえば、オーディオ専門店のリスニングルームでは、蒸気機関車が近づいてくる音や、落雷の音や、ガラスの割れる音を聴かせてくれるところがある。それらの音をどのくらいリアルに再生できるのかを聴き比べるのだ。あるオーディオ評論家は、遠くからアブが飛んでくる音を自作スピーカーで聴かせて、聴衆を驚かせていたというから、そのマニアックぶりはたいしたものである。―

 たしかに、そういう音を出して喜んでいる人がいましたね。無機的な音に特別な関心をもち、それをオーディオ機器で再生することが好きな人は、案外オーディオ好きには多いのかもしれません。
 かくいう私は、「オーディオは音楽を聴く道具である」という立場で本欄を書いていますが、それは、「人間は考える葦である」というのと似ていて、あくまでも“原理原則”。正直に告白しますと“純粋オーディオ音”もかなり好きなほうであります!

●LP再生での不思議な体験~井上卓也さんのマジック

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 LP時代の話ですが、アームをもって盤面に針を下ろしますね。その時、“プツッ”という音がします。これが、カタカナで書くと何の色気もない“プツッ”という、まさに無機的な“純粋オーディオ音”なのですが、その音の良し悪しで、機器の状態がわかるという、不思議な効用をもった音なのです。
 そして、楽音が出る前の、針が無楽音の溝をこすって行くわずかな時間の“雑音”も大切です。その“純粋オーディオ音”である雑音が、どんな“雑さ加減”であるかが、これから聴こえてくるはずの楽音の良し悪しを運命的に予言するのです!
 “プツッ”とか“シャーッ”という音に特別な愛着をもつことは、音楽を聴くことには何の関係もないのですが、オーディオにのめり込んだ人には、手放すことのできない大切なものなのです! オーディオという趣味の奥深さを物語る1つの例であります! 

 私がもっとも影響を受けた、日本のオーディオ関係者の1人に、もう亡くなりましたが、井上卓也さんという方がいらっしゃいました。井上さんは、はっきり言って変人に近い性格で、多くの業界関係者には付き合い難いタイプの人と思われていました。しかし、聴覚に独特の鋭敏さをもっていましたし、揺るぎのない“オーディオ論”をもっていました。
 私は今でも、音楽評論は成立しているが、オーディオ評論は未成立で、オーディオ批評と呼ばれているものも、“恣意的商品リポート”に近いものだという考えですが、オーディオの音がどうあるべきかの“論”は、成立しうるものだと思います。
 井上さんの“オーディオ論”は明快です。オーディオの“いい音”に絶対必要なものは、「SN比の良さ」に尽きるというのです。SN比とはオーディオから出る音の、ノイズと信号の比率です。表記は「SN比」もしくは「S/N」とするのが普通ですが、私は面倒くさいので単に「SN」でいいと思うのですが…。
 井上さんは、スピーカーの音が悪いと感じたら、それはSNが悪いからだ、と当然のようにいうのです。SNが良くなれば、音はよくなるよ、と。

 その井上さんと、LPを聴くと、とても面白くて勉強になりました。井上さんは、なかなか音楽を鳴らさないのです。何度も何度も、針を下ろしたり上げたりして“プツッ”という無機的な音に耳を傾け、楽音の出る前の“シャーッ”の質感に執着します。
 途中で意見をいうと、お叱りを受けますから、仕方なくその長い儀式に付き合うのですが、不思議なことに、何度もその“プツッ”と“シャーッ雑音”を聴いていると、その無機的な音が次第にいい音になってくるような気がしてくるのです。
 もちろん、井上さんは、ただ闇雲に単純動作を繰り返しているだけではなく、針圧やインサイドフォースキャンセラーの量、プレーヤーの水平度などをいろいろと調整はしているのですが、脇からオーディオをよく知らない人が見れば、いたずらをしているだけにしか見えなかったかもしれません!
 そして、やっと音楽が鳴り出すと、私はすっかり感心してしまうことがほとんででした。事前に自分でテストした音とは、かなり違った音で鳴るのです。躍動的で滑らかで、ストロークが深い音なのです。じつに不思議な体験でした。そんな私を横目で見ながら、井上さんは、まだまだ君はシロウトだな、と言わんばかりに複雑な微笑を浮かべているのでした。私は井上さんのアナログレコード再生の手法を“井上マジック”と名づけました。
 CDではどうだったかというと、井上さんはやはり、すぐに音を出さず、トレイにCDをセットし、ほんの一瞬音を出すと、すぐにトレイをオープンして、ディスクを置きなおしてプレイボタンを押す。音を一瞬聴いてすぐにまたトレイを引き出す。そんな動作を何度もしてみたり、トレイにセットするディスクの向きを変えてみたり、という不思議な動作を何度もしてから、やっと音を出すということを試みておりました。
 しかしLPのときと違って、私にはあまり大きな変化は感じられず、井上さんは少し不愉快な思いをされたようです!(この稿続く)