Esotericのリマスターディスク~“いい音”と“マスタリング”の関係(6)

●エソテリックのリマスタリングSACDの意義
 前回エソテリックのリマスタリングSACDについて掲載したのは7月26日でしたから、ほぼ1ヵ月前になります。その後、少し寄り道をしてしまいましたが、エソテリックから8月前半に最新盤2点が発売されましたので、今日はこれを機会に後半のお話をしたいと思います。
 エソテリックの新しいマスタリングよるSACDは、デッカ(DECCA)、ドイツグラモフォン(DGG)の名録音の原盤を中心に発売されてきましたが、今回はイギリス、EMI原盤の初登場となりました。これで、フィリップス(PHILIPS)が加われば、世界の名高いレーベルの大半をカバーすることになるわけです。
 世界的に景気が減速するなかで、最近は新録音がヨーロッパ、アメリカでもめっきり少なくなってきています。クラシックの大編成の録音をするにはかなりの費用がかかります。しかしディスクは、かつてほど売れなくなってきていますから、なかなか採算がとれず、どうしても新録音が減ってしまうのですね。新録音が減少しているのはクラシック音楽だけではありません。ジャズも同様ですし、ロック&ポップスもかつての勢いはありません。 新録音が減っているのは単に景気低迷だけが原因ではありません。趣味の多様化、生活環境の変化など、さまざまな要因が重なっています。そのもっとも心配な原因は、世界的に音楽を聴くスタイルが変化していることです。端的にいえばヘッドフォンで聴くことが主流で、スピーカー再生で聴くことがどんどん少なくなっているのです。
 ここでちょっと思い出してください。ソニーがウォークマンを売り出したのは、1979年7月でした。初代機の型番「TPS-L2」を懐かしく思い出す方も多いことでしょう。この頃も、こんなに若い人たちがウォークマンで聴いたら、レコードやオーディオ機器は売れなくなる、と警鐘を鳴らす人がいたものです。
 しかし、ウォークマン初期のアナログ時代は、携帯機器と据え置き型機器とは、うまく棲み分けができていました。ウォークマンはあくまでも、室内から音楽を外に持ち出して聴く携帯型の道具で、本格的なオーディオとのクオリティの差ははっきりしていました。 そして、間もなくCDが1982年10月に登場すると、携帯オーディオもデジタル化し、ポータブルCDプレーヤーやMDウォークマンなどが登場して、携帯機器も性能を一段と向上させましたが、同時により高音質で再生する室内据え置き型オーディオも、大いにマーケットを拡大させたのでした。いい意味での相乗効果があったのです。
 ところが、1990年代からパソコンが急速に普及し始めると、これに合わせるように、オーディオのあり方が大きく変化していくことになりました。私はこの時期から以降を、オーディオの“クオリティ喪失時代”と呼んでいます。つまり、それまではいかに“いい音”で録音し再生するかが、オーディオの最大のテーマであったのに、パソコンで音楽を聴いいたりダウンロードすることが人気を高めるにつれて、オーディオマーケットは“いい音”よりも、“便利・簡単・大量”が求められるようになってしまったのです。
 圧縮音声の技術進歩も、この傾向を加速しました。アップルの総帥スティーブ・ジョッブズは、iPodの圧縮音声(MP3)の素晴らしさは、誰もこれとリニア記録の音を区別できない、とプレゼンテーションで豪語しました。これが正しいかどうかはさておき、iPodが普及を加速させた、デジタル携帯機器は、携帯電話を含めて、音楽をいつでもどこでも、手軽に聴ける幸福をもたらしましたが、本格的なスピーカーによるオーディオを衰退させ、それに合わせてCDなどのパッケージメディアのマーケットも縮小させる結果をもたらすことになったのです。これは誰も否定できません。

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          エソテリック・リマスタリングSACDプロジェクトの総帥、大間知基彰氏

 現在の音楽環境が、今後どうなるかは予断を許しません。成長経済から低成長を標榜する新しい経済哲学も登場しています。そして、どんなに文明や経済が変わっていっても、人間の生理というものは、そう大きくは変わらないものです。そういうことから考えると、何かをきっかけに、今より競争が少なく、穏やかな生活が求められる時代がくるのではないかと私は予測しています。それに合わせて“いい音”で音楽を聴くオーディオが活力を取り戻す日も必ずくるのではないでしょうか。
 こんなことを考えると、前回ご紹介した大間知基彰さんが始められた、エソテリックの新たなマスタリングによる高音質SACDは、貴重な名演奏を最善のクオリティで保存しておく意味からも、非常に重要な仕事だと思います。しかも、日本ならではのオーディオ技術をふんだんに生かすことができるのです。XRCDにしても、エソテリックSACDにしても、この綿密で周到な、きめ細かい高音質追求は日本でなければ出来ないものではないかと思います。今後に大いに期待したいと思います。

●エソテリックのSACD最新盤はEMI音源

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 EMI音源のエソテリックSACD第1弾は、オットー・クレンペラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団にフリッツ・ヴンダーリッヒ(テノール)、クリスタ・ルートヴィヒ(メッゾ・ソプラノ)という豪華メンバーによる、「マーラーの交響曲《大地の歌》」(品番:ESSE-90043 写真左)と、ジョージ・セル指揮、クリーヴランド管弦楽団、ダヴィッド・オイストラフのヴァイオリンによる「ブラームス ヴァイオリン協奏曲」(品番:ESSE-90044 写真右)の2点です。
 私は、オイストラッフのブラームスを懐かしく聴きなおしました。この録音は1969年、オイストラッフが心臓病を抱えてからの演奏です。全盛期のいかにもヴァイオリンの帝王といったイメージを感じさせる、エネルギッシュで超人的なテクニックが際立つ、それ以前の演奏にくらべて、ずっと深い人間性を感じさせるいい演奏です。端然としたセルとクリーブランドのオーケストラの演奏がその味わいを引き立てています。
 すっかり音楽の豊かさに聴き惚れていると、ついこれが40年も前の録音であることを忘れそうになります。それは演奏がいいから、であると同時にマスタリングの効果によるものでしょう。コンサートで聴いた音の記憶はいつまでも古びることはありませんが、古い録音は久しぶりに聴き返すと、少し古くなったような響きを感じることがあるものです。演奏の本質は、録音の手法の違い、機器の進歩などを超えて生き続けるのですが、聴こえてくる響きに時間経過を感じさせられることが、結構あるものですす。
 これは古いディスクをたくさん所有している人はよく実感されてことがあるのではないでしょうか。特にアナログ時代の録音を、デジタル初期の機器でマスタリングしたCDではそう感じられるものがあります。その点で、今回のエソテリックのマスタリングは、考えられる最上の条件でマスタリングされているので、限りなく正確に録音時の質感が復元されているのだと思います。

●新マスタリングの高音質ディスクにかける情熱

 エソテリックのマスタリングの特徴は、すべての工程で最新の高性能機器が使われていることはもちろんなのですが、中でも特に注目すべきなのは、エソテリック製のルビジウムによるマスター・クロック・ジェネレーター「G-0Rb」が使用されていることです。通常デジタル機器には水晶発振モードのクロックが使われているですが、これは超高精度ルビジウム発振器によるもので、このジェネレーターで各機器のクロックを一元管理しているのです。
 少し難しい話なのですが、作業工程上にある機器の時間軸をキッチリと合わせることは、仕上がった音の質感に大きな効果があることが今はよく知られています。これはデジタル初期と違う最大のポイントの1つです。デジタルとアナログの根本的な違いは、すべての信号処理が計算によって成立しています。この計算が正確に行なわれるためにも、機器の時間管理が精密でなければならないのです。さらにこれはアナログでも同じ、基本的なことですが、電源、伝送ケーブルの品質も音に大きな影響があります。その点でも、エソテリックのマスタリングは抜かりがありません。

 このような技術的な課題をクリアすることが大切なことはいうまでもないのですが、もう1つ見逃せない、音に大きな影響を与えることがあります。それは、制作する人間の「いい音を求める心」飽くなき探究心です。
 エソテリックはレコードメーカーではありませんから、ヒット作を作ろうというレコード産業の至上命令から離れたところで制作ができます。そこで、オーディオマニアが喜びそうな、高音質ディスクを作るというだけの試みなら、アナログ時代からも何度も何種類もの作品が作られてきました。しかし今、エソテリックのリマスタリングに込められているのは、音に関心の高いオーディオマニアを納得させることは当然のことですが、さらにもっと本質的な音楽的品質の向上なのです。
 それは簡単にいってしまえば前回の大間知さんの言葉にある「マスターテープの音を、限りなく忠実に生かしたCDを現在のわれわれの技術で作りたい」という1点に尽きます。いかに、マスターテープに記録されている、録音時の演奏家や制作者、技術者の理想に近づくか、もてるオーディオ技術のすべてをそこにつぎ込む、ということです。
 そして、大間知さんとエソテリックをこのように突き動かしている要因は、“いい音のオーディオで聴く音楽の喜び”以外の何ものでもありません。
 それは、昨年発売されたグラモフォン音源のカラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による、「シェーンベルク・ベルク・ウェーベルン」、いわゆる新ウィーン楽派の管弦楽作品集(写真下)の解説書に書かれている、大間知さんの発言からもよく読み取ることができます。

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「(シェーンベルクは初めて聴く人には馴染めないかもしれないが)何度も聴いているうちに凄さが見えてくるんです。緊張と官能美という2つの次元を同居させながら、考えられないほどのスケールの大きな表現の世界をカラヤンが打ち立てています。ことにオーディオ的観点から感心させられるのが、チェロ、コントラバスです。音の厚みと密度、そしてうねり感。それはベルリンフィルでしか出せないものと言えるでしょう。また、対照的に、繊細、緻密を極めた弱音部の美しさも、今まで聴いたことのない世界です」

 このような、録音作品への理解と愛着が、録音時の生々しい雰囲気をマスターテープから可能な限り引き出すことこそオーディオ人の使命だ、と大間知さんを激しく掻き立てているのでしょう。
 芸術作品というものは、どんな分野でも、それに関わる人の情熱に支えられているものです。マスタリングもまた、優れた機器と技術だけではなく、音楽と音への深い理解がなければ、ただの“音遊び”に陥ってしまうのです。新録音が少なくなった今こそ、エソテリックのリマスタリングSACDの存在価値は高いといわなければなりません。
 なお、リマスタリングSACDのラインナップはエソテリックのホームページの「スーパーオーディオCD」のページに全点掲載されていますので、ぜひご覧ください。