読者のコメントにお答えします~オーディオ特別編

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暑中お見舞い申し上げます。

 凄まじいとしかいいようのない暑さ続きですが、皆様お元気でしょうか。世界中が異常気象に見舞われているようで、国内外の政治経済事情よりも、地球規模、宇宙規模での異変がないのか、ついついそんなことを気にしてしまいます。
 気にすることで思い出したのが、コメントをいただいた方々に返信や回答をしていない方がいらっしゃることです。コメント欄では制約が多いので今日は、暑さしのぎになるかどうかは別にして、まとめてお答えすることにしました。なお、コメント者の元ページはニックネームをクリックすると開きます。そのページの話題とともに

●「杉ちゃん」2010年7月10日
http://audio.b.station50.biglobe.ne.jp/201005/article_2.html

B&W&のSPに関する本音、裏話等興味深く読ませていただきました。
当方、H7年からMatrix802を使っており、正に船木さんの、おっしゃられるB&W社のポリシーを言い表しているように感じました。現用の802も15年に渡るお付き合いなのですが、「ノーチラスシリーズ」に乗り換えるつもりはありません。何故なら私的には、Matrixシリーズで、一応の完成していると思うからです。(特にノーチラスシリーズの音と、オリジナルノーチラスとは次元の違う音だと感じました。)


杉ちゃん 様
 私の現在の事務所は1995年5月からですが、その時から試聴室のモニターは「B&W Matrix801Series2」でした。平成7年は1995年ですから、まったく偶然に同じ時期から杉さんは「802」 との付き合いが始まっているわけですね。
 元の事務所はかなり大きめの試聴室でしたが、ビクターの「SX-1000」がメインモニターで、B&Wはサブ的存在でした。小さめの試聴室になって、主役を「801」に替えたのですが、これは大成功でした。
「オリジナル・ノーチラス」には、心底感心しましたが、これは個人で所有できるレベルのものではありませんし、小出版社のモニタースピーカーとしては贅沢すぎます。やはり、特別な場所に置いて、特別な時に聴きに行くというタイプのものでしょうね。それから、こんなことは以前はいえなかったのですが、私も現在のノーチラスシリーズにはあまり親しみを感じません。B&Wはやっぱり、あのズングリした「800シリーズ」に止めをさす、というのが正直な印象です。
 今、聴いても少しも古臭い感じがしません。手入れさえよければまだまだ使えるはずです。大切にして、音楽をじっくりとお楽しみください。


●「けんた」2010年7月6日
http://audio.b.station50.biglobe.ne.jp/201007/article_1.html

色々な機器を聞くにつけ何か向かっている方向が違うのでは? と感じることが多いのですが。「いいアンプにスピーカーをつなぐと~その後のことなのです。」⇒拍手喝采の思いです。部屋の雰囲気が一変して、緊張感が生まれるシステムを目指して!


けんた 様
 スピーカーが理想的に働くと、置かれた部屋の空気をしっかりコントロールするというのは、別な言い方をすると、オーケストラのコンサート会場のザワザワした雰囲気が、指揮者が登場してオケに向かった途端に、会場の空気がピリッと引き締まる、ああいう感じにも通じます。これがオーディオの快感なんですよね。いい音の好みは、人によって違いがありますが、音が出る一瞬前の静寂がもたらす緊張感と、鳴り始めてから部屋の空気をしっかりと支配する、あたかも鳥が空気を巧みにコントロールして飛ぶように。これは、音楽をオーディオを聴く人すべてに通じる特徴です。他の何にも変えがたいこういう音を求めることが、オーディオの苦しみであり、楽しみなのです。

ふーさん●2010年6月24日
http://audio.b.station50.biglobe.ne.jp/201006/article_2.html
いつもいつも、楽しみに、そしてなるほどなるほどと、新鮮な感覚で読ませていただいております。人類の英知の集成された財産としての音楽を耳が遠くならないうちにより多く、出来ればよりよい音で鑑賞しておきたい、というのが老境に達しつつある小生の気持ちです。これからも、楽しみに読ませていただきます。


ふーさん 様
 建造物や装飾品、絵画や彫刻などの美術品、その他もろもろの人類の生み出した財産と、音楽作品のいちばんの違いは、音楽は演奏という行為を介さなければ存在しない、ということです。楽譜は形として存在するものですが、作品の一部でしかありません。あくまでも音として人の耳に届かなくてはならないのです。
 そして、演奏は音が空気中に放出された途端に消えていきます。その聴いたイメージや感動は人の心に残りますが、実態として存在することはできません。そこで、人間が生み出した録音物と、それを音に復元する道具としてのオーディオ機器が大切になるのです。音楽は、20世紀になって録音とオーディオが生まれ、その能力が一定の水準を超えて、大いにその存在を確実なものにしたといってもいいでしょう。


あらいぐま●2010年3月29日
http://audio.b.station50.biglobe.ne.jp/201002/article_4.html
私も同時代にオーディオを追求しましたが、経済的に中級機の寄せ集めで終わったようです。この10年来は、月に1~2度まさに生のオーケストラを聴いていますが、帰宅後同じ曲のCDをコンサート会場と同レベルのボリュームで聞く事がありますが、今回のスピーカーの話を読んでニヤットしながら、全くその通りとの感を抱きました。貴重な話でした。


あらいぐま 様

 同感していただいて、とても嬉しく思います。多くの人は、スピーカーから出る音を、いいとか悪いとか批評しますが、その前に、なんでこんな箱からピアノやら弦楽器やら、声やらがちゃんと出てくるのか、まずこのことを不思議に思い、そして感動しなければオーディオは始まらないと思うのです。中途半端な知識で、オーディオ機器を論ずる人たちもいけません。その中でも特にいけないのは、「100万円以下の製品なんて芸術に対して失礼である」などというバカバカしいことを公言する人ですね。いえ、本当にそういう人が専門家にいるんです。
 自分が惚れ込んで買い、愛情をもって付き合い、手入れを怠らなければ、価格に関係なく、もちろん一定の水準というものがありますが、数万円のアンプだって感動的な音を出すことはできるのです。オーディオ界のばかばかしい通説を覆すのも私の役目だと思っています。